障害者と健常者の違いって?

障害者と健常者って分ける必要あるのでしょうか?

いきなりの質問ですが、果たして何を持って障害者と呼ぶか何を持ってして健常者と呼ぶか?という事なのですが。もちろんきちっとした定義はあると思います。ただ私としては本当に言葉の上でもそんな風に分ける必要があるのか?と疑問に思います。

先日ある5才の子のお母さんからご自分のお子さんが自閉症と診断されたと聞かされました。診断を受けた当初は相当落ち込んだそうです。何故それまで分から無かったかというとそう彼の自閉症の症状は重くなく、親としては子供の個性と思いたいところもあって診断が遅れたとの事でした。

私が見ただけではどこが違うのか分からないくらいなのですが、症状がわかりにくい事でその子の負担は逆に大きくなるそうです。今はそのお母さんは前向きに捉え自閉症について良く勉強しています。ただ当初は障害があるということを受け入れる事は大変なことだったようです。何故受け入れることは難しいのでしょうか?

今日私の通っている教会が毎月発行している雑誌に興味深い記事が載っていました。

私たちは障害と言うと不利な条件と捉えてしまいますが、果たしてそうなのでしょうか?確かに不利な条件かも知れません。では不利な条件っていったいどんなものなのでしょうか?まずそれから考えてみます。

この記事の中には、世の中では容姿が美しい事に非常に重きを置かれます。でも美しいことやハンサムな事はハンディキャップかも知れません。なぜなら美しい、あるいはハンサムな人は心の中にいいものがあるからこの世で成功するのではなくて、外見だけで成功してしまうかも知れないからです。その人がどんな技術や能力を高めたかによって評価されるのではなく、外見で評価されてしまうのです。これは成功ではありません。

またお金持ちという事もハンディキャップかもしれません。お金が悪いわけではありませんが、お金を愛するがためにもっと大切なものを失うかも知れません。

それ以外でも完璧な人間などどこにも存在しないのですから、全ての人が何らかのハンディキャップを持ち合わせていると言っても言いと思います。

では、ハンディキャップを持つ人はいつも助けられる人なのでしょうか?

私がアメリカに初めて住んだ時の最初のルームメイトの一人は脳性麻痺のハンディキャップを持っていました。手の指は硬直していましたし歩くのも歩きずらそうでした。でも彼女は頭脳明晰で大学もジャーナリズムを専攻し学位をとりました。その当時私の英語は全くダメでコミュニケーションをルームメイトととろうにも単語が分からずいつも辞書を持って歩いて、言いたい事があると辞書を開いてその単語を見せるというような生活でした。

そんな時その彼女が優しい単語で離してくれたり、私が辞書を見せるとこちらの単語の方が良く使われるからと良く教えてくれました。彼女はゆっくりとしか話せないので、その頃の私はネイティブの早い英語ではついていけなかったので、聴き取りにくさはありましたが、彼女の離す言葉を注意深く聴いて覚えることが出来ました。

もし彼女にハンディキャップがなかっら、彼女もあのような忍耐力が無く、私のような英語の良く分からない人間に付き合ってくれなかったかも知れません。彼女にハンディキャップがあったからこそ忍耐力というすばらしい賜物が与えられたのではないでしょうか?

そしてその時、ハンディキャップのある人を助けるどころか私は随分助けられた事で、お互いの差というものは無いのだと悟りました。特別に考える方が少し違うのではないのか?と思います。

もちろん環境の問題はあります。バリアフリーも出来ていないところがいっぱいあります。何故それが遅れるのか?障害者の人のため、お年寄りの人のためと特別な人のためにやろうとするからではないでしょうか?

誰でも使えることはみんなのためになる事で、決して特定の人のためだけではありませんよね。

そして誰でも個々に才能が与えられていてお互いにそれを使って助けあう事が出来ると思うのです。障害という言葉はなくしてもいいのではないでしょうか?お互いに出来る事をして出来ないところを助け合うそれが自然なのではないでしょうか?

それぞれが持つハンディキャップのおかげで得られる大切な賜物を人生の中でいただくことが出来ます。

障害という言葉を個性に変えて捉える社会になって欲しいと思いますし、障害自身が神様から与えられた賜物なのかも知れません。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

天職についていますか?

今日は久しぶりの良いお天気になりました。気持ちいいですね。

このごろ天職について考えています。そのきっかけは教会で自衛官の人が自分の仕事は自分にとって天職だと言われたのを聞いてからです。やっていて楽しい、努力すればドンドン成果を挙げる事が出来る自分の才能を生かしていると思う。などが天職と思える理由でした。果たして私の今の仕事は天職なのだろうか?

そもそも天職とは何なのでしょう?

「ときどき思い出したい大事なこと」サンマーク文庫

この本の中に天職の呼ぶ声が聴こえますか?という項があります。そこには天職についてこのような記述があります。

天職とは意味や喜び、より大きなコミュニティに貢献しているという感覚をもって働くことだ。天職とは精神と生活を再び一体化することでもある。自分はなぜ、誰のために、どのように働くのかー天職は、たとえばこんな仕事関する、寄り深い問いかけを私たちに投げかけてくる。

私はあの人がこういう仕事をしているから羨ましいと思った事はありません。それぞれの人に等しく役割があると思うので人の役割に対して感謝はしてもそれを自分の物にしようとする思いはないのです。

それよりも自分がいかに生きるかという事のほうが関心があります。せっかくこの世に命をいただいているのですから、この命が有る間に自分の役割を見つけたいと願っています。この自分の役割こそが天職ではないでしょうか?

この項目の中には天職を聴き取るための3つのプロセスが書いてあります。

1.最も楽しむ事が出来る才能が何であるかを見出す。

2.自分が大切だと思っている課題や商品・サービスに役立つように、自分の才能を用いる。

3.『自分は誰か』-自分の価値観ーに合う仕事環境が何かを明確にする。

皆さんはご自分のお仕事を天職と呼べるのでしょうか?

今の仕事の中にもこの3つのプロセスを使い、見出す事が出来れば、天職として仕事を考えていく事が出来ますね。という事は天職とは誰もが持ちうるものであって、誰か特別な人が持てるものではないということですね。

何だかとても当たり前のことを書いているようですが、私にとっての仕事を先の自衛官の人のようにこれが自分の天職と言い切れるまでの思いが欲しいというのが今の願いです。自分の才能をこの仕事の中で見出しているのか?使っているのか?

最後にこの項の最初に書かれていた言葉を書きます。

仕事は金銭的な成長とともに、精神的にも個人的にも成長する機会を与えてくれる。そうでなければ、われわれは人生のあまりに多くを、そのために無駄にしてしまってることになる。           ジェームス・オートリー

| | コメント (32) | トラックバック (0)

鳥越俊太郎さんのがんの再発

この頃急に寒くなりましたね。何だか戸惑います。

先日鳥越俊太郎さんのがんの再発を知りました。彼は今アフラックのがん保険のコマーシャルに出てもらっています。そんな彼が今年の1月に再発している事が分かったなんて!ご本人は至って冷静に受け止められたとの事ですが。ショックであっても自分がうろたえてしまえば家族がもっとうろたえてしまうとの思いがあると言うのを聞いて感動しました。

自分の苦しい状況の中において家族を思う気持ち、自分を支え愛してくれる家族に対する感謝の気持ちが表れていて美しいと思いました。あれだけジャーナリストとして忙しい激動の人生を送られていたのにも関わらず、家族との絆がしっかり築けていることにも感動しました。

再発の恐ろしさは手術の時の検査では、転移は無いということだったのですが、実は転移はあってそれを見つけることが出来なかったということです。がんは見えないところに潜んでいるという可能性があるということで、転移がその時点では無いと診断されても安心できない事なのだと思いました。

鳥越さんも今回肺への転移が見つかりがんのステージが一挙に4になってしまったということです。

ただこれから彼ががんとどの様にい関わっていくかというと、じっくりい落ち着いて今日を生きるそんな姿勢が見えました。彼流に言わせれば、今までやりたいことをやってきて67歳の今の人生はおまけの人生。というようなことを言われていました。67歳は今の平均寿命からすればまだまだ若く悟るには早すぎる年齢とも思えますが、試練にあったときの闘い方というのがあると思います。

私も最近年齢が言ってきたせいか、闘うという闘争心がなくなりました。どんな時でも自分の人生を楽しむ心を失いたくないと思っています。若い時のように一つの戦いに集中し膨大な時間と労力を使ったとしても、まだあまりある時間が残されていますが、私の年齢になるとそうは時間が残されていません。それに闘うエネルギーも。

だとすれば、限りあるものを上手に使って生きることの方が得策に思えます。

がんの治療方法も昔と違い緩和しながら治療していく方法が普及しています。精神的な苦痛プラス肉体的な苦痛を友なうのでは生きてる意味さえ分からなくなってしまします。

がんという病気は初期段階が本当に大事ですね。今回の鳥越さんの転移を受けてかなり早い段階ではないとがんはすでに転移している恐れがあると分かりました。こういうお仕事をしている割には検診に行かないのですが、やはり検診はしっかり受けておいた方がいいですね。反省しています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「ミス・ポター」見てきました。

お久しぶりです。気分が煮詰まってきて仕舞い気分転換をしようと思っていたら、こんなに長いお休みになってしまいました。

気持ちの切り替えをと努力して来ましたが、今ひとつパッととしません。

070927_10440001 そこで、昨日は映画を見てきました。『ミス・ポター』です。イギリス好きの私としてはイギリスが舞台になっている映画を外すわけにはいきません。湖水地方の美しい景色も堪能できると言うことなので、楽しみにしていました。

もう良くご存知と思いますが、この映画の主人公はピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターです。舞台は1900年代女性が職業を持ち自立するなんて考えられない時代。彼女には才能と夢がありました。

驚くのは彼女の家は資産家ですが、男性であってもお金を稼ぐ事は卑しい事という社会。彼らにとって社交こそが仕事!

070927_10460001 そういう古い慣習の中で映画では表せない縛りの中で自分の夢を叶えるためには本当に強い意志が無ければ出来ない事と思います。映画の中でも7年間本の出版のために多くの出版社に原稿を持ち込んでいるといっていました。

そんな彼女にやっとチャンスが、そして運命の出会いでもあり・・・・・

私は美しい風景見たさとあの時代に自立した精神を持ち続けた彼女に興味があり、この映画を見にいきましたがこの映画はラブストーリーでした。

070927_10440002 彼女と彼女を支えた出版者の担当者ノーマン・ウォリーとの優しくも悲しいラブストーリーでした。写真の場面は彼女たちは婚約しますが、ビアトリクスの両親から激しく反対され、少し時間を持つために彼女は湖水地方に両親と避暑に行く事を約束させられます。見送りに来たノーマンとのキスシーンです。走り出す蒸気機関車の蒸気かロンドンの霧の中かとてもロマンティックなシーンで美しかったですね。

湖水地方の景色を映画の後半たくさん見ることが出来ますが、とても美しいです。何となくタナーの絵のようにあそこまでではありませんが、鮮明なはっきりした色合いではなくどこかファジーな色合いの風景が心を癒してくれるのではないでしょうか?

深い悲しみから癒えるために自然の力は大きな力を持っていることを感じました。この映画には彼女の人生はドラマティックであったのにとても静かに流れるように過ぎていくところが気に入りました。遊園地のアトラクションのような映画も楽しいですが、心の深いところに大切なものを届けてくれるそんな映画と思えました。

もちろん女性向けですね。最後タイトルバックにかかる主題歌が素敵です。

Katie Meluaが歌っています。タイトルは「When you taught me how to dance」

本当はお聞かせしたかったのですが、見つからなかったので残念です。

人を愛するという事も、人生の中で情熱を傾けられる事についても考える機会をこの映画を通して持つ事が出来ました。それについてはまだまだ考え中ですが。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

Google earthで気分転換

この間テレビでGoogleの社長さんを見て、そういえばと思いGoogle Earthをダウンロードしました。

もともといろんな世界を見て見たい願望のある私。でもこの横須賀での生活から抜けだせず、時に閉塞感を持ってしまいます。今ちょうどそんな時期です。10年周期で起きる衝動をこのところ年齢もかさみ、本人も落ち着いてきたのかと思いましたが、何となくどこかに移動したい虫がうずきます。

でもこれって現実逃避のようにも思われちょっと複雑です。ともあれ、このGoogle Earthはそんな私には便利な存在で、行きたい所へ行くことができます。しかも上空から見るという普段見えない角度で見ることができるので、神様もこんな風にわたしたちのこと見てるのかしら、何て考えながら楽しんでいます。

高所恐怖症の私ですが、その点は心配ありませんでした。まだ使いこなしていないので良く分かりませんが、3Dのツアーもあるそうで、楽しめそうです。

イギリス好きと言っても実際にはイギリスへは行った事の無い私。ちょっと湖水地方へとか好きな時に出かけてます。ほんの少しの息抜きになってます。

特にその場所に行くために画面の地球がぐるっと回るところが好きですね。身近なところばかりを見るのではなく、地球規模で考えたり、ズームして近寄ったり離したり、そんな風にして日常のことも考えていくと違った考えが浮かん出来るのでしょうね。

ところで、我が家のお隣さんは今日最後のお引越しです。先日大雨の前の日にもお引越ししていました。お隣は代々米軍基地で働く軍人家族です。今回は単身者のようでしたが。もともとの日本人家族は20年以上も前にご主人の転勤で出られそれからずーと米軍基地で働く人たちのために家を貸しています。

いろんな家族がありました。とても友好的でお友達になった家族も有り、5人の子供をほおりっぱなしで音楽の音がうるさすぎて忠告しに行った事も。最近はどんな人が住んでいるのか全く分からない状態です。

今度はどんな家族、人が来るのでしょうか?大体2年が最初の期限で、それを伸ばす事も出来るようですが、伸ばさないと次の国へ転勤です。

以前教会で知り合った子はベースの中の小学校で先生をしていて、やはり2年ごとに世界中の米軍基地を回っています。そんな風に世界中を回り暮らす生き方も面白いかもしれません。

さてさて、今回も1度もお話をしない内にお隣はお引越しです。今さっきいまで、掃除機の音がしていました。今車のエンジンの音が聞こえるのでこれから出発です。先週の土曜日にお別れパーティをしていたようなので、日本での日々悪くは無かったのかも知れません。次の国はどこなのでしょうか?

どこかに飛んで生きたい私ですが、実際は日本では神奈川県から出て住んだ事がありません。田舎暮らし憧れ(今住んでるところも結構田舎ですが)、晴耕雨読がいいな~何て思っています。

終の棲家はどこにしようかな~と思いながらGoogle Earthを眺めたりしてます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聴くと言う事

保険のお仕事で大事なことは、お客様のお話を聞く事と心得ています。

でも最近ちょっと本を読み返したとき、ギクッとなるフレーズがありました。

もしあなたが普通の人間であれば、まず自分が理解される事を望むでしょう。それが人間というもので、自然な事です。自分のしたいことをわかってもらいたいのです。そうすると、あなたは青手を完全に無視、または聞いているふりをして、会話の聞きたい部分だけを選んで聞く、もしくは発された言葉のみに注意を向けて、本当の意味を完璧に見失っているかも知れません。何故このような事が起きるのでしょうか?

それはほとんどの人が返事をしようとして聞くからであり、理解をしようと聞いてるわけではないからです。 

あなたは次に何を言おうか、何を質問しようかと頭の中で考えながら相手のことを聞いているのです。この主な原因は、聞く事全てを自分の自叙伝、すなわちあなたの人生経験、あなたの評価基準などのフィルターにかけているのです。(7つの習慣演習ノートより)

確かにお話を真剣に聞いている間、答えを探している事があります。どのような質問をしていけばいいかとも考えた事があります。そうか~無意識のうちに良かれと思ってやっていたけれど、本気で聞くというのとは少し違っていたかも知れないと思いました。

こんな風に言った事無いですか?

「気持ち、すごく分かります。私も同じ思いでした。」

「私にも同じ事起りました。」

これって相手の立場に立ったり、同じような経験をした事を分かち合いお互いの距離を近いものにしようとしただけなのにって思いませんか?これに近い事言ってるなと思い当たります。でもこれも自叙伝的な発想なのだそうです。なぜならば、自分の経験に話を置き換えてしまっているからで、相手に私はあなたと同じような経験をした者として理解してください。と言ってることになるからですね。

でも経験を分かち合う事は良いときもあります。

がんでお母様を亡くされたお客様に私の父は心筋梗塞で亡くなったとお話した時、お互いに親を亡くした悲しみを知っているということで、距離が近くなった経験があります。

いつも自叙伝的に聞く人の傾向としてこの本には4つのうちどれか1つの答え方をしていると載っていました。

評価する:賛成、または反対する。

探る:自分の評価基準を基に質問する。

助言する:自分の経験を基に問題をに対して助言したり、解決法を提示したりする。

解釈する:自分の動機と行動を基にして、人を判断する。(人の動機および振る舞いを説   明しようとする)

じゃあ、本当に効くとはどういうことなのでしょうか?

この本にはこの様に書いてありました。

本当にその人の事を聞くと言うことは、自分のことを忘れ、その瞬間に会っている相手に対して、全てのエネルギーを注ぐと言うことです。これは「感情移入しをして相手の話を聞く」ことです。

よく私などは勘違いをして感情移入してしまうと相手に同情してしまったり、問題を背負い込んでしまったりするので怖い気がしていたのですが、どうやら感情移入とはもっと冷静なもののようです。

そこには同情も無く、むしろ同情は評価に当たるそうです。また同意してるわけでもない状態で相手の立場から外を見て、その人が見えるように世界を見て、その人の気持ちを理解するということのようです。

これは訓練が必要なようです。

リスニングの技術も必要でしょう。でも一番必要なのは、やはり相手に対して誠実に心で相手の言葉を聴くということなのでしょうね。そうすれば今発せられた言葉の背景に何が起きているかを理解し一緒に問題解決に踏み出す事ができるのでしょう。

自分ではやって来た事が全て間違っていたとは思いませんが、思い違いや無意識の内に自分を理解してもらいたいと言う気持ちが働いていたのでは、という気ずきを与えられました。

まず自分を忘れ相手の話している事に集中する事、是非意識してやってみようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

よその会社も少しずつ変化しているようです。

今日は、手紙の日という事にして朝からいろいろな所へお手紙を書きました。仕事はもちろん私用もそして午前中郵便局へ。今日は午後は雨と聞いていたので急ぎました。でも結局今の時点(16:00)でも雨は降っていません。

午後からもと思っていたら、懐かしい人からお電話いただきました。以前お知り合いになった国内生保の方です。その会社は20年遅れていると他社の国内生保から言われていると聞きましたが、以前の方法から少しずつ変わってきているようです。

以前は積み立て中心の保険を長い間売ってきましたが、利率があまりのも良かったため逆さや問題があり近年パック型の他社と変わらない保険を売り出しました。今までの利率の良い保険をいかに新しい保障中心の保険に切り替えさせるかが課題となっていました。今までのものは5年7年で満期を迎える積み立て中心の物からたくさんの保障特約つきの保険に切り替わり、年配の職員さんは保障を覚え切れないまま売ってしまう人もいました。

今までは新人は6ヶ月は給与が保障されていましたが、その後は契約数によってお給料は変わってきてしまいますが、取れる人と取れない人の差が大きいシステムでした。保険の取れる人には会社を辞めてしまった人の契約で満期を迎える契約者の情報を会社から与えられ、そこからまた契約に繋げると言う事ができるのですが、契約を取れない人はそういった情報をもらえないので、ドンドン先細りになるシステムでした。

また担当エリヤも無かったので、会社側から今日はこの地域を飛び込みしましょうというような感じで営業していました。

今日お聞きしたところによると、満期の顧客情報は毎月1件でも取ったら与えられるようになったそうです。成績のいい人に与えられる情報はなくなったそうです。これにより顧客をたくさん持っている人が圧倒的に有利だった以前より、少し成績のばらつきが無くなってきたそうです。

担当エリヤがありそのエリヤの顧客を負かされるようになったそうです。

今まで失業保険は無かったのですが、失業保険がつくようになったようです。その分退職金はあまり良くないそうですが、5年務めると失業保険もまあまあ出るとの事でした。

今日はその方の担当エリヤが私の住む住宅街との事で、またがん保険に興味ある人がいるので、私のところに問い合わせてくれました。

そこの会社でもがんの入院保障が3倍になる特約付きの医療保険があるのですが、それだけでは物足りないというお客様もいらっしゃるので、今回私の事を覚えていてくださった声をかけてくれました。とりあえずパンフレットを持っていきたいと言うことでしたので、お渡ししました。

保険会社は古い体質からなかなか抜け出さないし、問題意識も持っていないのではないかと思っていましたが、今回他社ではありますが、少し変わったという事を聞いてやはり変わっていく必要があると改めて思いました。やはり企業も進化していかなければいけませんね。経営理念など変わってはいけないものは変えず、その他の部分では常に進化させていく事大切ですよね。

保険会社は常に顧客に目を向けいる事はもっとも大切な事ですが、中で働く人間、代理店を含めて、いかに快適にみんなが協力しながら良い結果が出るように考えていく事も必要だと思います。やはり私は競争から生まれる結果よりも協力して生まれた結果の方が大きな結果が得られると、どうしても思えてなりません。

お互いにとって幸せな関係を作る事がwin-winの関係なのですから、会社、代理店、社員、お客様の全てにおいてwin-winの関係でありたいものです。

今日のその方は、障害者の子供たちのバンドを作っています。ご自身のご長男も障害者です。その方自身は長い間ピアノの先生もしておられます。アフリカの太鼓を使った障害者のバンドを結成し去年で10年になりました。

今年何とコンテストに勝ち進み東京でのコンテストに出場が決まったそうです。それに優勝するとアメリカにいけるそうです。みんな毎週がんばって練習しているそうです。

依然10周年コンサートを横須賀でやった時に受付をお手伝いさせていただきました。私にとっても特別な経験となりました。彼らのアフリカの太鼓の演奏を聴いていると心に響く音が心地よく、また元気をもらいます。邪心の無い彼らの演奏を多くの方々に聞いていただきたいです。

そのコンテストは全国から障害者のグループが集まるようです。韓国からの参加もあるようです。

日時、場所は下記の通りです。お時間のある方は是非いって見てください!!

第4回 ゴールドコンサート「チャレンジド(障害者)・ミュージシャンの競演」

日時: 10月8日(月・祝)午後3時開場 4:30開演

場所:東京フォーラム ホールC

東京都千代田区丸の内3丁目5番1号 電話03-5221-9000

チケット申し込み:チケットぴあ 0570-02-9999 Pコード:609-888

SS席指定 3500円  S席 3000円 A席 2500円 車椅子、聴覚障害者席 2000円(必要な介護者は1名無料)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

win-winを考える

070910_11040001 今日は、win-winを考えてみようと思います。まず、win-winを考える時に人は一人では生きていけないという事をはっきり自覚する必要がありますね。

人が嫌いで孤立して暮らし家をゴミ屋敷にしている人も実は人に依存していますね。何せ集めてくるゴミは人の家から出てきたものですから。

引きこもりになっている子たちも親に衣・住・食を依存して生きています。

ホームレスの人も炊き出しや、人が拾ったもので生活してしています。

ごくごく普通に暮らしている私たちだって、誰かと係わり合いながら暮らしています。

つまり私たちの世界は相互依存で成り立っていると言っていいですね。

この世界で私たちに必要な事は孤立では無くて自立だと思うのです。win-winの関係を構築させるためにはまず自立をが不可欠であると思います。

自立とは環境や人によって自分の価値観などを左右されない精神と位置付けています。大抵の人の自尊心は人との比較と競争に基ずいていて誰かの失敗という点から成功について考えますとスティーブン・コビーは言っています。自分が勝てば相手は負ける、相手が勝てば自分が負ける。人生はゼロサムゲームだ。限られたパイしかないため、他の人が大きな一切れを取ると、自分の取り分が小さくなると考えるのです。

このような考え方が一般的ですね。保険会社でもこのマーケットは小さいので早いもの勝ちです。何て事をアナウンスします。でも本当にそうでしょうか?社会や企業の発展は競争原理なくしては無理でしょうか?

私はwin-winの考え方に出会ったときにとても感動しました!!

win-winは人生を競争とは考えません。協力する舞台と考えます。win-winとはあらゆる対人関係において、常に相互の利益を求める精神と心の持ち方のことを言います。また互いの利益になり、互いに満足できる合意や解決策を意味します。(7つの習慣の演習ノートより)

「全ての人が受け入れられる選択肢を見つけることは可能だ。誰にとっても充分な状態が必ずある。」

この精神を基にお互いにとって一番良い方法を話し合い考えていく時に1+1=2ではなく、3以上の答えを見出す事ができます。

変な縄張り意識を捨てて、みんなで知恵を出し合い、よりよいものにしていく努力をしていったら、もっと効率的に良いものが出来上がっていくという考え方がとても好きです。

ただ、このwin-winの関係を築く時には勇気と思いやりが必要です。それは自分も相手もwinとなる結果を導き出さなければならないからです。自分の考えも根気強く相手に理解してもらえるように説明しなければなりません。また相手のお話もしっかり聞き相手の考えも尊重しなければ成り立ちません。

win-win の関係を作るのに必要なのは、勇気と思いやりと言われていますが、このバランスが悪いとwin-loseやlose-winと言った片方だけが利益を得るような偏った関係になってしまいます。

これは本当に難しいですね。こういった関係作りをたくさんの方と構築していきたいと思っています。このブログのはじめの方に書いた事と重なるかも知れませんが、時々復習させてください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

台風接近の中昨日は代理店会議でした

昨日の台風はすごかったです。小田原上陸との事で横須賀の方もかなり激しく、地震が起きても目が覚めない私ですが、昨日はあまりの音になかなか寝付けませんでした。今日は目不足ぎみです。

そんな昨日でしたが予定通り代理店会議がありました。2時からのスタートでしたのでまだ大丈夫とのとの事でしたが、予定の5時だと帰宅に支障があるかもしれないとの事で少し早めに切り上げることになりました。

会議はさくさくと終わり途中新商品のサービスについての実施がうまくいくのかどうかの質問が代理店側からあったりもしましたが、おおむね順調で4時少し過ぎに終わりました。こういう感じでやっても支障が無いのであれば、次回からもあまり時間をかけずに会議を進行できるよう工夫して欲しいと思いました。

アナウンスメントとしては私の所属する地域では10月3日4時ぐらいから鎌倉や藤沢、平塚などでがん遺児該当募金活動をします。

「個人年金」と「こども保険」が通販でも販売できるようになりました。基本的には面談でのご契約が好ましいのですが、ご本人を確認する書類のコピーをつけていただき通販でもお申し込みしていただく事ができるようになりました。詳細は個別にという事になります。

通販用の書類も必要となり、このところ書類の入れ替えで大変です。もっと早くやるべきとのご指摘があるかと思いますが、8月は本当に忙しかったです。ほとんどが私用でしたが、少しでも人のために働く機会が有った事には感謝しています。これから少しお仕事に本腰を入れないとと思っています。

最近支社からのFAXが増えています。1日に何回も送られてきます。あれ何とかならないかな~と思っていたら昨日お話した代理店さんも同じようなこと言ってました。そもそもネットで見れるシステムが有るのですからネットで見ればいいと思うのです。10月からはネットで全て見ることになり本社からも書類が送られてこなくなる予定なのですから、FAXしか見れない代理店さんが無い事を確認して切り替えをして欲しいと思います。

ただ、印刷するかどうか最近のFAXは選べるので、古いFAXを使っている私にも問題はあるのですが・・・・・・

生保と損保では違うのかも知れませんが、大体うちの会社では毎月何の波乱も無く議論が交わされることも無く、会社側からの報告という形で会議は進められ終わります。連絡会議という事でこれでいいのかも知れませんが。

議論できるようなミーティングはもう少し少数グループでの会合でと言うのが正しい考え方なのでしょうね。

ただ、連絡に終始するのであれば、ネットでもOKかなとも思います。久しぶりに顔を会わす代理店さんもいてご挨拶はできますけれど、あまりお話する時間は無いので時間をかけて行ってどうだったのか?疑問に思う時もあります。

ただどんな機会もそこから自分が何を得ようかという気持ちが大切だと言う事は分かっているつもりです。

時々ふと疑問に思ったりして・・・・・・

さてと、台風の余波でまだ強風です。明日は久しぶりにお天気よくなるといいのですが。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

ご挨拶状出しました。

今日の横須賀は晴れたり、曇ったり、雨が降ったり。私の体調も元気になったり、疲れて動けなくなったり。年齢がいくと次の日ではなくその次の日に疲れがどっと出ます。なので昨日はノビテいました。

今日はそうもいかず、この間の土日にお会いした方々、アンケートに参加してくださった方々にご挨拶状を出しました。本当はすぐにやるべきなのでしょうね。そこが出来る人とそうではない人との違いでしょうか?すっかりダウンしてしまい今日になってしまいました。

まずはお葉書でのご挨拶にしました。最初から長々と封書では読んでいただけるかどうか分かりません。お葉書なら簡単に目を通す事が出来ますからね。負担少ないのではないでしょうか?

字もあまり小さいと読みにくいのでわりと大きめにしました。それでも老眼の方はめがねが必要でしょうが、今回お答えいただいた方たちは比較的若い方が多いので、その点はあまり心配なかったかもしれません。

保険のお話は一切無くご挨拶だけに留めました。

セールスマンはまず自分を売りなさいといわれますが、同じ商品を売っているので何故私から買うのか?そのことがわかっていないといくらお客様のためといっても本当によい物を提供できないと、とても強く感じます。

私は何をできるのでしょうか?

以前はそれが分からなくて手をこまねいていましたが、これからは自分のスタイルを見つけるために動いてみようと思いました。なかなか自分で納得できないと動けない私でしたが、動かなければ何も分からないことも分かりました。なのでこれからは動きます。

何て当たり前の事をまた言ってしまいました。

ところで私が動こうとすると天候が荒れます。台風は大丈夫でしょうか?

台風に負けずにがんばるぞ!!何てまた月末ダウンしてるかもしれませんね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«テンプショップ行ってきました。